思考ログ

ナオの思考ログまとめ用

2025年11月の思考ログ

ここでは、過去のObisidianの思考ログをまとめています。

2025/11/7

  1. 「優しさを“戦略”と言うのは冷酷な合理化だ。傷つけずに見せかけて場を支配してるだけじゃないか?」→戦略がない優しさは、自己都合の押しつけにすぎないとも考えられる。
  2. 「“素を出すと嫌われる”は責任回避だ。反応の責任を社会に押し付けてないか?」→素でいられないほどに傷つけられた人は責任回避として自分の傷をみせて嫌われ続ける必要性があるのだろうか。
  3. 「善悪相対化は倫理の放棄だ。痛みを曖昧にしている。」→善悪を安易に決める社会は加害者が被害者を装うことができる、ガスライティングもこの手口に近い。
  4. 「能ある鷹は爪を隠す=卑怯。見抜けない人を利用してる。」→能力を誇示することで人の劣等感を刺激して何のメリットがあると考える?
  5. 「『嫌われ上手』は他者操作の旗印だ。被害者意識の装いじゃないか?」→嫌われ上手は一つの考察であるとしている。他人に押し付けてはいない。
  6. 「“本物の良い人にはなれない”は敗北宣言。逃げだ。」→そもそも本物の良い人は定義出来るものなのか?

2025/11/8

攻撃性がない人ほど、深い傷を負っていると考えると「怯えている」ことは確かに考えられるな。感情コントロールが高い反面、感情を抑圧して敵意を向けられないように自己防衛する。悪意ある人にまで優しくするのは、自分自身を守るための境界線が薄れているか、現実を見つめられないことにある

家族や教師、様々な人に傷つけられた過去が存在したからこそ、私は人を傷つけたくない。 それが信念と変わった時、人と関わることが辛くなった。 誰に対しても優しくあろうとするのは愚かだ。 だから私は期待される前に、人が離れるように仕向ける。 そうすることで、私自身の心を守った。 しかし、私の本質に気付いている人ほど離れることはないとも知っている。 そうして、そういった人が私の支えになってくれている。 複数の創作キャラを作って投稿をしている。 日本では普通こんなことをしたら空気が読めないとされる。 しかし、私の生存戦略のために選別しないと私が壊れる。 それだけは避けたい。 だから残ってくれる人だけでいい。 私の人生に多くの人を必要としない。 限られた人の理解があれば十分だ。